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遺産分割後の負担不履行を理由とする解除

最高裁平成元年2月9日判決(最高裁判所民事判例集43巻2号1頁)

遺産分割協議と民法五四一条による解除の可否

       主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

       理   由

 上告代理人吉村洋、同今中利昭、同村林隆一、同松本司、同千田適、同釜田佳孝、同浦田和栄、同谷口達吉の上告理由について
 共同相続人間において遺産分割協議が成立した場合に、相続人の一人が他の相続人に対して右協議において負担した債務を履行しないときであっても、他の相続人は民法五四一条によって右遺産分割協議を解除することができないと解するのが相当である。けだし、遺産分割はその性質上協議の成立とともに終了し、その後は右協議において右債務を負担した相続人とその債権を取得した相続人間の債権債務関係が残るだけと解すべきであり、しかも、このように解さなければ民法九〇九条本文により遡及効を有する遺産の再分割を余儀なくされ、法的安定性が著しく害されることになるからである。以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

 上告代理人吉村洋、同今中利昭、同村林隆一、同松本司、同千田適、同釜田佳孝、同浦田和栄、同谷口遠吉の上告理由
 原判決には、民法五四一条、九〇九条の解釈適用を誤った違法がある。
 一 原判決は、共同相続人の一人が遺産分割協議において負担させられた債務を履行しなかったときでも、他の相続人は遺産分割協議を民法五四一条により解除できないとする。
  1 その理由の第一として原判決は、「これを許すとすれば、民法九〇九条本文により遡及効のある分割について再分割がくり返され、法的安定性が著しく損なわれる虞れがあるから、長期間不確定な状態におかれることとなる。」と説く。
 しかし、遺産分割に遡及効があると何故その法的安定性が重視されることになるのか明らかでない。
  2 まず、解除を認めるとして第三者との関係で法的安定性が害されるか検討すると、たとえ解除を認め遡及的に遺産分割協議が遡及的に無効になったとしても、解除前の第三者は民法五四五条一項但書により、また解除後の第三者の場合でも動産については即時取得(民法一九二条)の規定等によって不動産についても登記を備えるかぎり一七七条により保護される余地がある(最判昭和三五年一一月二九日民集一四巻一三号二八六九頁等)のであるから、いずれも法的安定性を害するとはいえない。
  3 次に共同相続人間での解除の可否について検討するにたしかに分割協議に解除を認め、その失効と再分割協議を認めることは、実際上複雑になることは否めない。
 しかし、そのことのみを理由として、分割協議につき一切の債務不履行による解除を否定することは、明文の規定でもないかぎりできないはずである。
 民法九〇九条は、遺産分割に強度の法的安定性を要求し、分割協議の解除を一切否定している趣旨とは解せないのである。
  4 他方、原判決は、分割協議に参加した相続人に錯誤詐欺の場合に無効、取消の問題が生ずることを認める。
 とすれば、遺産分割の法的安定性といっても絶対のものではないということであろう。
 では右の場合には何故分割協議の法的安定性を害してよいのか、解除については何故右同様のことが認められないのか全く説明されていない。
 たしかに錯誤、詐欺の場合は、共同相続人間に分割協議時、自由な意思決定が欠如しているのに対し、解除においては、この欠如がないといえる。
 しかし、分割協議において、共同相続人の一人が負担した債務を履行しなかったという背信行為のある場合でも、常に法的安定性の要請を重視して分割協議の解除を一切否定すると解するのは妥当とはいえない。
 そもそも法律がある法律行為を無効、取消、あるいは解除しうるものとするのは、既に生じた効果を否定して以前の状態に復することに、国が協力することが、法秩序の趣旨から望ましい場合である。そして、そのような場合とは結局一方が何等かの不当な損失を蒙り、相手方が不当な利得を得た場合である。
 とすれば、遺産分割の解除の余地を認め、その可否の検討においても、解除の法的安定性の要請の他、遺産分割内容(一方が他の相続人に比し、どの程度多く遺産を相続することにしたか。)一人の相続人が他の相続人に如何なる内容の債務を負担したか。(解除以外の方法で、その履行が確保できるか否か。これは後にまた述べる。)負担した債務の不履行背信性の程度その時期等の諸事情を考慮して解除の可否を決すべきである。
 また、原判決は解除が認められるとすると分割協議が長期間不安定状態となると説くが、この点も解除の時期を諸般の事情を考慮し、信義則で制限すればよいのであるから、解除自体を一切否定する理由とはならない。
  5 また、理論的に考えてみても民法九〇九条本文は、遺産分割に遡及効を認め、各相続人は他の相続人を経由して権利の移転を受ける(移転的効力)のではなく、被相続人から、相続開始時に遡って、分割協議で認められた権利を直接に承継する旨規定する。
 この規定のみからすれば、なるほど一般に当事者間の合意を前提とする解除は遺産分割になじまないともいえる。
 しかし、権利の承継が理論的には被相続人から直接承継するとしても、その過程においては共同相続人の分割協議が介在し合意の要素が多分に含まれるのである。
 また、共同相続人のうち一人に全ての相続財産を相続させるという法定相続分と異なる分割協議は、実際上贈与とも評されるものである。
 民法も以上の遺産分割の実質を考慮し、移転的構成を前提とした規定(九〇九条但書、九一一条)を設けているのである。
 したがって、遺産分割に解除はなじまないとは必ずしもいえない。
 二1 原判決は第二の理由として、「遺産分割の協議の際に、分割の方法として共同相続人の一人又は数人が、他の共同相続人に対し債務を負担させ、その代りその相続人の相続分を多くするのは、分割を容易にするためにとられる便宜的方法であって、その債務自体が遺産に属しないのであるから、遺産分割そのものは協議の成立とともに終了し、その後は負担させられた債務者と債権者間の債権債務関係の問題として考えるべきものである。」と説く。
 この趣旨は、結局遺産分産の解除をせずとも、債務を負担した共同相続人に対し、他の相続人がその債務の強制履行を求めれば、それで、十分保護されるということであろう。
 しかし、これは本件のような場合には全く理由とはならない。
 確かに、他の相続人に対し負担した債務の内容によっては、右の理が妥当する余地はあろう。
 たとえば、現物分割にかえて一部の相続人が他の相続人のために持分放棄をするかわりに、金銭支払いの債務を負担したような場合である。
 しかし、本件の場合のように、
   (一) 被上告人は、上告人一郎、同太郎と兄弟として仲よく交際すること
   (二) 被上告人は長男として実母ユキ子と同居すること
   (三) 被上告人は実母ユキ子を扶養し、同女にふさわしい老後を送ることができるように最善の努力をするものとし、妻とともにユキ子の日々の食事はもとよりその他の身の廻りの世話をその満足をうるような方法で行なうこと
   (四) 被上告人は先祖の祭祀(浄土真宗、稲荷神社)を承継し、各祭事を誠実に実行すること
 以上のような内容の債務を負担した場合は、前記理由は全く妥当しない。
 この種の債務にあっては、強制履行は適さないし、また不可能でもあるからである。
 そうだとすると、本件のように右債務の履行のない場合には他の相続人保護のため、何らかの形で遺産分割の効力を覆しうる方法が考えられなければならないはずである。
  2 本件類似の債務を負担した債務者が、その債務を履行しない場合、次の各判例は財産を先渡しした債権者に、返還請求することを認めているのである。
   (一) 大判大正六年二月二八日民録二三輯二九二頁
 最判昭和二九年九月四日民集一八巻七号一三九四頁
 「結納は、婚姻の成立を確証し、あわせて婚姻が成立した場合に当事者ないし、当事者両家間の情誼を厚くする目的で授受される一種の贈与」であり、「婚姻不成立の場合は「当然その効力を失う。」として返還請求を認める。
 この場合、結納という贈与に付加した債務は将来婚姻をなすという、本件類似の強制履行に適さないものである。
   (二) 東京高判決昭和五二年七月一三日(判例時報八六九号五三頁)老年者が老後の物心両面の面倒をみてもらい、かつ家産や祭祀を継がせるため重要な財産の贈与した場合、右判例は右贈与を右債務の負担贈与と構成し、受贈者の義務違反を理由に贈与の解除を認めている。
  3 よって、本件の場合も同様に遺産の返還請求の前提として遺産分割の解除を認めてしかるべきである。
 義務違反の場合、遺産分割が当然失効するとするよりは、解除の意思表示を必要とする点明確であり、且つ、解除とすることで多数人の関与に対処する五四四条の適用が可能となるからである。
  4 もっとも民法五四一条解除の制度は、等価交換関係にある当事者間の法律関係を規律する取引法の分野に妥当するもので、遺産分割には妥当しないとする反論があるかもしれない。
 なるほど民法五四一条は本来取引法上の制度ではあろう。しかしながらその基本理念は、当事者の一方に義務違反がある場合、既に契約によって作出された権利関係を維持することが他方当事者との関係で平等を欠くと評価されうる場合、当該他方当事者にその権利関係を覆しうる手段を与えることである。
 だとすれば本件の場合に解除権が否定されるいわれはなく、前掲の二判例も同様の考えに立つものといえよう。
 三 以上、まとめると共同相続人の一人が他の共同相続人に対し、特定の行為をする債務を履行しないとしても他の相続人はその強制履行もなしえず、解除もできないとする解釈は、民法の相続人平等の趣旨に反するものといわざるを得ない。
 原判決の強調する分割協議の法的安定性といっても、第三者の関係においては、それを害する虞れもなく、また共同相続人間においても絶対の要請ではなく、一方の共同相続人平等の要請との調和を図りながら解釈されなければならないものである。
 すなわち「法的安定性」といっても結局は全法秩序の中での判断の一規準にすぎない。抽象的に法的安定性のみ金科玉条のごとく振りまわし、その結果原判決も認定するように「被控訴人(被上告人)が前記自由意思に基づき合意された控訴人(上告人)ら主張の四条件を履行する限り本件の如き訴えの提起に至らなかったこと」(原判決理由第一、二、1)が明らかな状況にあって「被控訴人(被上告人)が(訴外亡乙井)ユキ子と同居する以上、同人を扶養する義務あること及び先祖の祭祀を行なうべきものであることは、被控訴人(被上告人)の認めるところであり、兄弟仲よくすべきことも当然のことである」(原判決理由第一、二、2)のに、被控訴人(被上告人)が右訴外亡ユキ子に対し「食事の打ち切り、病気〈糖尿病〉治療に必要とする健康保険の打切り、椅子をもって顔面を殴打し傷害を負わせ」る等の「人倫に悖る非行」(原判決理由第一、二、4)を行なうなど、「控訴人(上告人)ら主張の四条件を履行しなかったこと」(原判決理由第一、二、2)を結局は放置するような法解釈を展開する原判決は、法の名の下に法秩序を破壊し、規範意識を歪めるものに他ならない。正に本末を誤まるものである。
 相続はすぐれて身分的、換言すれば非取引法的制度である。だからこそ遺産の分割は単純に法定相続分で行なうのではなく、「遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態、及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする」と定められた(民法第九〇六条)のである。
 分割に当り、相続人が自己に帰属すべき法定相続分の全部あるいは大部分をある特定の他の相続人に帰属させるにつき条件を付した場合、当該条件が身分的なものであるほど、当該相続人にとっては必須の条件である場合が多い。本件はまさにこのようなケースである。にもかかわらず原判決は、これをどちらかといえば取引法的な概念である法的安定性のみで律しようとした点に根本的な誤りがあるのである。
 よって、遺産分割においても本件のような場合には、民法五四一条の適用を認めるべきであり、原判決にはこの点で法律解釈に誤りがあり、破棄されるべきものと思料する。

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